出版企画

2024.05.05

小山壮太 生態その1

・幼少期に風邪の治療で打った筋肉注射で大腿四頭筋短縮症を発症

・大腿四頭筋短縮症は、注射剤の使い方、注射部位などが適切でなかったために、注射剤の成分が周期の筋組織に対して、物理的、化学的な刺激を与えて障害につながる症状

・大腿四頭筋短縮症により太ももの前側の筋肉が伸びなくなった

・症状として走り方がおかしい、体がだるい、腸の調子が悪いなどの症状が出る

・小学校2、3年生のころ、過敏性腸症候群と似た症状を発症。腸の調子が悪く下痢になりやすかった

・体がうつ状態。体がだるいから寝る。起きるとだるいから寝るの繰り返し

・走り方がおかしいため、「そんた走り」と呼ばれた。小学校3年生までは、足は早かった

・大腿四頭筋短縮症の治療ため、小学校3年生から整形外科、接骨院、マッサージ、鍼など様々な治療法を小学生の頃から体験

・それぞれに効き目はあるものの解決には至らなかった

・マッサージは強揉みでないと効果を感じることができなかった

・鍼は利き目があったが完治には至らなかった

・千葉県の県立高校を卒業後、二浪

・浪人生の間、新聞奨学生で予備校に通う

・読売新聞

・家を出て3畳一間木造アパート、風呂なし、トイレ、玄関共同に下宿→渋谷?

・東京ドーム、ほか二箇所でビール売りのアルバイトをする

・渋谷から中野へ 4畳半のアパートに引越す

<エピソード>初日にゴキブリが11匹、2日目8匹、3日目3匹出た。ゴキブリが大の苦手。あらゆる駆除方法を試す。ホウ酸団子が一番効き目あり

・一念発起し、イージーオーダーのスーツショップに転職

・時給1500円。RegainのCMが流行った時代、24時間働けますか、の勢いで働き月収50万に。給料をもらいすぎて解雇、思い返すと、生意気だったのかも

・大学進学を諦め、治療に通っていた千葉県の接骨院に就職

・「使ってもらえませんか」とオファーしたが受付の女性しか必要ないと断られる

・しかし、その先生が独立することになり「ついてくるか」と言われ弟子入りという形で就職

・市川の店舗で修業中、「もっと勉強をしてこい」と言われ、市川の先生の師匠が開催する熊本県で行われた3泊4日、受講料15万円の研修旅行に参加

・熊本空港に降り立つと持病と疲れでとても調子が悪かった

・その様子を見たゴツい先生が「ちょっと来い」と言って、荒っぽい整体をしてくれると歪みまくっていた体が治り、3泊4日持ちこたえることが出来た

・荒っぽい整体を治療法として「これだ!」と思い、熊本県での研修旅行後、市川から名古屋まで3、4回治療に通った

・研修旅行後、本当に治すことができる治療法に出会ったことから市川の接骨院をクビになる

・思い返すと小生意気だったのかもしれない(こればっかり。。)

・市川の先生は、揉んでくれる時間が長く、ストレッチ、鍼もできる素晴らしい方だった

1991年

・熊本県で出会った名古屋の先生に指示することを決意し名古屋の整体院に就職

・市川の接骨院を辞めてきたというと、先生の経営するラーメン店の上に部屋を家賃無料で用意してくれた

・整体の修業を17時まで、その後ラーメン店で24時、1時まで働く、まかないつき

<黄金期①>当時の収入は整体師として1日6~7万とラーメン店の給料

・整体師の恩師は12歳上、西川右近の付き人をしていた。整体を終えた後、経営しているラーメン店で働き、月に2回の休みには内海にってマリンスポーツを楽しむ人だった

・名古屋の整体院を2年半ぐらいでクビになるor退職する

・恩師の息子が整体院に戻ってきたことで、引き時と感じ、退職

1993年

・無職となり部屋付きの仕事を探し、家、トラック付きのちり紙交換の仕事を見つけ、始める

・当時、買取価格1キロ20円だったが、すぐに1キロ10円になり半年でやめる

・エピソード:エロ本が25万円分になったこともある

・読売新聞の購読勧誘に来たアル中のおじさんに誘われ、朝日新聞の営業員となる

・整体院があった今池に住む

・新聞配達、集金の手伝いもしていた。雨の日はパチンコ

・成績優秀で香港マカオに旅行に

・岡崎の店舗に転勤

1997年

・整体師の仕事に戻る決意をしてバイト誌で見つけた南区笠寺の「湯~とぴあ宝」に就職

・足ツボ施術者を募集していたので、整体ではなく足ツボで採用

<エピソード>足ツボマッサージは未経験だったが「本を読んで覚えろ」と言われ習得。箸を持つのも触れられるだけでも指が痛かった

<黄金期②>朝から晩まで60分6,000円で足ツボマッサージをして月に60万円ぐらい稼いでいた

<エピソード>9年間で11回引越しをした

1999年

独立と結婚♡

・本山のエステサロンで間借り営業を1ヶ月後、料理店(いつ、どこで?)でアルバイトをしていた頃の知り合いの不動産屋さんに「東山線沿いがいい」とアドバイスを受け、今池で整体院を開業

・休みはいらない、長い営業時間のスタイル

・当時の地元紙「cheek」に宣伝広告を出す。1/4枠12万円

<エピソード>宣伝広告の影響で1ヶ月目70人、2ヶ月目に10人の新規顧客(割合?)が来て半分の人がリピートし、その半分が常連客になった

・今池の店舗から新栄の店舗に移転←なぜ?

・雇用創出助成金(名前がわからない)500万円を受給し、会社を作る

・クロスの張り替え、結婚式の席次表作成、名刺印刷、黒人シンガーの派遣、香水の卸、ブランド通販、神宮パレや西春で催事をやっていたこともあった

<エピソード>本業である整体をする暇がなくなり、店を潰した

<黒その1>支払いができず、死のうと思った

・特別清算という形で折り合いがつくことになり、父親に300万円借りてしのいだ

・湯~とぴあ宝に戻る

・足ツボではなく整体師の枠が空いていたので、整体師として採用

<エピソード>当時は「霧島くん」と呼ばれていた

・20年ぐらい整体をしている先輩のお姉様が幅をきかせていたが、会社のシステムの近代化で業者が介入し、お姉様は追い出され、自分は残った

・いろいろな経験を求めて、1年で退職

・春日井市のスーパー銭湯大和湯に就職。13時から24時まで働く

・過去のお客様に連絡を入れると出張がつき出した

・午前中、休みの日は全て出張整体をしていた

2006年

・店舗型整体院から出張専門の整体師に方向転換

・宣伝広告が時代の流れで地元誌からフリーペーパーになり、インターネットになる

・hot pepperも全国版から地域限定版になり集客が難しくなった

→出張専門の頃のエピソードが足りない

・ブランドものの通販をやっていたときに紹介された元彼(野島さんだけどガクトで、ガクトのHP作っていてガクトからは内山と呼ばれていた元彼:キーパーソンだけど名前などの設定をどうしようか)が無料で出張整体師のホームページを作ってくれた

2007年

・元彼に「これからは動画だ。動画を100本撮れ、人生が変わるから」と言われて、動画を撮り「ニコニコ動画」にアップした。同時に、そのうちの2、3本をYouTubeにアップしたところ、インドでバズり1万回再生を突破した

・長年温めていたヒーリング整体のサービスを今池で開始

・他人のトラブルを自分の体に落として自分にフィードする方法

・うつ病の人は体もガチガチになっている。心のうつと体のうつ

→自分にトラブルをフィードして、体への影響は?

<エピソード>吉本芸人との付き合い。宮迫、ホンコン、陣内 吉本からギャラを5,000円もらった

2011年11月11日 

・名古屋市中区栄三丁目に「からだ工房本館」をオープン

・名古屋で修業した恩師から「場所はどこでもいい、宣伝なんかしなくてもいい」という教えを学んでいたが、2011年ごろは宣伝をしなくては潰れていく、腕が良くでも目だたなければ成功しない時代

・成功するためには場所が大事であるという思いで、当時は名駅よりも人が多く栄えているイメージが強かった栄を選んだ

2012年

・名古屋市中区栄5丁目に「からだ工房別館」をオープン

・湯~とぴあ宝の一緒に働いていたお姉様を雇った

・施術者を増やし、部屋を増やし、時代は2980円整体が主力になってきて、赤字が積む

<黒その2>サラ金にお金を借りまくり、いよいよ明日支払うための100万円がないという状態にまで追い込まれる

・インターネット媒体の広告が当たり、別館にも人が来るようになって軌道に乗った

・別館が軌道に乗ったので3店舗目を久屋大通に出店

・施術者はどんな人も受け入れた。外国人、びわきゅうの知り合いなど

<黒その3>固定給と歩合給にしたが、固定給の人が働かず、全くうまくいかず夜逃げ

・しかし夜逃げが大家さんに見つかる。話し合いの結果、良い条件を出してもらい救われる

・店の借金はなんとかったが、税金200万円は未払いだった

2019年

<エピソード>国の公的融資を受けられる話があったが、税金の未払いがあると支給してもらえないことがわかり、実家の母に200万円借りて、税金を納め公的融資を受けることができた

・すぐに返した

<エピソード>公的融資を受けた後、Twitterにハッシュタグをつけてup、一人でスシローで祝いをした

・300円皿3枚、茶碗蒸し、鯛汁、お茶で乾杯

・NHK本局から取材依頼の電話があり、全国版のNHKで放送され、親戚一同から母へ連絡が殺到した

・極楽レンジャーからYouTubeの動画を撮らせて欲しいとオファーがあり、協力した。その頃、極楽レンジャーからYouTubeで月に30~40万円稼げるという話を聞いて、元彼とYouTubeをやろう!という話になった

・2018年ごろから登録者数、再生数が伸び始める

・YouTubeはエロ認定されると広告がストップしてしまうので難しいものの、2020年には登録者数15万人を突破し、銀の盾を授与

・一方で登録者数10万人越えあたりから、元彼とYouTube制作における方向性の違いを感じ始めた

2020年

・YouTubeにかけるお金が後100万円あったらもっと伸びる!という時にコロナで補助金を使えるようになった

・麻生大臣の「助けてくれと手を挙げろ。そうでなければ我々は見つけられない」(→正しい発言を調べる必要あり)という言葉を受け、補助金の企画書が通りやすくなった

2021年4月

・名古屋市、愛知県認証協会のそれぞれから補助金(融資?)が得られるようになった

(つづく)